待っちょれ、川の向こう!
前回のポッドキャストは、この言葉で終わった。
「待っちょれ、川の向こう!」
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』。
第16週のタイトルは、
「カワ、ノ、ムコウ。」
その中で、遊女のなみさんが川の向こうへ向かって叫ぶ。
「待っちょれ、川の向こう!」
笑顔で、身体いっぱいに。
魂ごと向こう岸へ投げるように、その言葉を放っていた。
その瞬間、鳥肌が立った。
考えるより先に、
その言葉も、その姿も、
自分の中へ飛び込んできた。
待っちょれ、川の向こう。
なぜ、こんなにも心が動いたのだろう。
松江へ行ったら、
自分も川の向こうへ向かって、この言葉を叫ぼう。
そう決めた。
もともと、この旅は何かに気づき、
これからの人生を動かす時間になるような気がしていた。
だから、この言葉を自分の声で放ってみたかった。
しかし――
こんなことをするのは、俺ぐらいしかいないだろう(笑)。
考えてみれば、僕の人生にはいつも川があった。
子どもの頃、川のたもとで過ごした記憶。
父を待った橋。
バクと一緒に渡った橋。
穏やかな水面だけではなく、
雨の日には濁り、怖いほど勢いを増した川の景色も覚えている。
大人になっても、川はずっと僕の近くにあった。
そして川には、いつも
「こちら側」と「向こう側」がある。
2026年3月25日。
僕は松江にいた。
松江のホテルで『ばけばけ』を見届けた。
そして、ホテルを出た。
外は小雨だった。
傘をさしながら、
松江大橋へ向かった。
テレビの中で見た場面が、
少しずつ自分の現実の景色へ重なっていった。
そして松江大橋に立った。
川の向こうを見た。
周りに人がいないことを確認してから、
数年後の自分を思った。
そして、声を出した。
「待っちょれ、川の向こう!」
僕は、自分の声で叫んだ。
向こう側へ行けば、
何かが変わるような気がしていた。
過去を越えた向こう。
苦しかった時間を越えた向こう。
今とは違う人生がある向こう。
だから、橋を渡ろうとしてきた。
でも最近、少し違うことを感じている。
大切なのは、
向こう側に何があるのかだけではない。
こちら側にいる自分が声を出すこと。
今、自分はここにいる。
ここまで生きてきた。
いろいろあったけれど、
それでも、ここに立っている。
そして、ここから声を出す。
「待っちょれ、川の向こう!」
そう叫んだ瞬間、
川の向こうへ行く前に、
こちら側の自分の中で何かが動き始める。
流れが生まれる。
僕はこれまで、
このブログ「Baku & Peace」の中で、
「戻る」
という言葉について考えてきた。
最初に思っていた「戻る(Back)」は、
傷ついた過去まで戻り、
そこで何があったのかを見つめることだった。
何が自分を苦しくさせたのか。
なぜ、こんなふうになったのか。
過去に置き去りにしてきた感情や、
あの頃の自分を迎えに行くように、
その意味を考えてきた。
でも、考え続けるうちに、
「戻る」の意味が少しずつ変わってきた。
過去に戻ることそのものが、
目的なのではない。
過去を見つめることで、
何を背負いすぎていたのか。
何が自分ではなくなっていたのか。
何を本当は望んでいたのか。
それに気づき、
もう一度、自分の位置へ戻っていく。
僕にとっての「Back」は、
いつの間にか、
過去へ戻ることから、
本来の自分の位置へ戻ることへ
変わっていった。
そして今、もうひとつ思う。
戻ることがゴールではなかった。
自分の位置へ戻ったら、
そこからまた流れていけばいい。
川のように。
ときには濁る。
ときには岩にぶつかる。
流れが止まったように見える日だってある。
それでも、水は流れていく。
僕も、そうありたい。
完璧になってから向こう側へ行くんじゃない。
何かが全部整ってから、
人生を始めるんじゃない。
今いる場所から声を出す。
自分の位置に戻り、
そこから流れ始める。
だから今なら、
「待っちょれ、川の向こう!」
という言葉を、
あのときとは少し違う意味で受け取れる。
いつか行くから待っていろ。
ではない。
こっちは、もう動き始めたぞ。
そんな宣言なのだと思う。
川の向こうが変わるのを待つのではない。
未来の自分が迎えに来てくれるのを待つのでもない。
こちら側から声を出す。
こちら側から流れを起こす。
橋を渡る日が来るかもしれない。
流れ着いた先が、
思っていた「向こう側」とは違う場所かもしれない。
それでもいい。
大事なのは、
向こう側だけを見ながら、
こちら側で立ち止まり続けないこと。
僕は今、ここにいる。
ここから声を出す。
ここから流れていく。
待っちょれ、川の向こう。
こっちは、もう動き始めている。

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